the smiths 雑感
ちょっと思い入れ過剰ぎみかなーっと思いつつ、書いてみるか。
morrisseyの孤独と偽物臭さ
the smithsに出会ったのは、大学に入ったばかりの頃、家庭教師先のピアノの上にあったモリッシーの「kill uncle」のCDジャケットを見て、単純にその奇妙なポーズに興味を持ったのが最初だ。
その芝居じみた格好、何よりそのタイトルに驚いた僕は早速、手近な中古ショップにあった、
the smithsの「louder than bombs」を買った。
しかし、第一印象は、余りよいものではなかった。
今で言うニューウエーブで育った僕の耳には、ストレートなギターの音は物足りなく感じたし、
モリッシーのボーカルも、ただくぐもった独善的な独白(それは間違いではないけれど)にしか聞こえなかった。
でも、気になっていたのは確かだ。今思うと、「louder
than bombs」が決してまとまりがいいとはいえないシングルのコンピレーション・アルバムだったせいもあるかもしれない。
人間は、おおよそ2種類に分けられると思う。独りの人とそうでない人。もっと正確にいうなら、
誰かに愛されていることを認識できない人とできる人。僕は残念なことに前者であることに気づいたのが、そのころだった。
lost generationと呼ばれる世代や、しらけの世代と呼ばれた人たちと僕とでは、共通するところと、
そうでないところがある。
まず、共通するのは、何かを失ったということ、
そうでないのは、僕も誰も戦っていないこと。
頼れるはずの伝統、もしくは夢見させてくれるすてきな思想をなくした人と、僕とは、喪失感と、いわれない焦燥感で通じるものを感じる。
ただ、確かに違うのは、僕は何をなくしたのか、よくわからなかった。戦争に行ってもいない、大学に火をつけたわけでもない、何を得ようとしたわけではない。僕がなくしたのは何だろう?
笑うことにこんなに疲れるのはなぜだ。
人と別れて部屋に戻ると、こんなにもほっとするのは、なぜだ。
なぜ、こんなに隅っこにしか、いられないんだ。
死にたくなるのはなぜ。
そんなとき、morrisseyの抑制された歌声が聞こえた。たとえば、
「I would love to go back to the old house,but I never will.」
「Wrap her up in the News Of The World. Dump her on a doorstep,
girl. This night has opened my eyes, And I will never sleep
again.」
「but she doesn't even like me! And I know because she said so
in the room downstairs.」
そして僕は、ある日突然気がついた。自分が愛されているということがわからないことに。誰かが僕を信頼しているとか、必要としているとかそんな当たり前のことが僕には実感できない。理解できないわけじゃない。客観的に証拠をならべてゆくと、どうやら彼女には、少なくとも
僕は必要とされているらしい、ということは分かる。でも、それは、事実として分かるのであって、火星に生物がいないことが分かったと
同じレベルの認識だ。実感できない。愛されているだけで、安心だとか幸せだとかが得られるはずなのに。
でも、それが分かると楽になった。僕のどこがおかしいのか、どこに奇形が潜んでいたのか分かったからだ。
そして、the smithsが好きになった。
morrisseyの声には、孤独がとりついている。なのにそれを無視して、marrのギターはかき鳴らされる。
”モリッシーとマーは最高のソングライティングチームだ”という意見には反対だ。
モリッシーはいつも、曲と関係のないところで鳴っている。
マーは最高の曲を書いたし、モリッシーは最高の歌を歌ったけれど、やはり、厳密にはチームではなかったと思う。
モリッシーはメンバーについて「強烈な結びつきだよ。今時点では僕はメンバー一人一人に全身全霊を傾けている、
愛と言ってもいいくらいまで。当然ながら、ジョニー(マー)との関係については敏感になっている。言うべきじゃないことだってあるから、
でも、僕が彼に捧げてる献身は、確固とした強固なものさ。」と85’に語っている。
ただ、僕は思う。彼は確かにメンバーを愛していた、でも、やはり彼はメンバーが彼に捧げていた献身が実感されなかったのではないか。
最初のアルバム「the
smiths」は、モリッシーの持つそうした側面がストレートにでている。
「still ill」では「I decree today that life is simprly
taking and giving」と始めた後、
さびでは「am I still ill?」と続く。なんて傲慢な出だしなんだろう。しかし、実際に聞くとそれは、
全く逆の印象を抱く。抑揚のない震えるようなモリッシーの声はやさしく、何かに怯えているようにも聞こえ、マーのギターは先を急ぐように神経質に響く。そして「am
I still ill?」(僕はまだ病気なのか?)と問いかけた後、のどを引き絞った叫びがこの曲のクライマックスだ。もう、そこには
人生を”take"している者の姿はなく、与えてくれなかった者への悲嘆と諦めだけが聞こえる。
モリッシーは過激な発言でも物議をかもした。MTV批判、英国王室攻撃、菜食主義、ゲイ疑惑、自殺志願者。
どれもメディア好みで、膝を抱えて部屋に閉じこもる若者といったイメージとあいまって、彼をスターダムへと押し上げた。
では、彼は自分自身をメディアにさらけ出した、正真正銘の正直者なのだろうか。
それは、多分Noだ。彼は自分の持っていた小さな性癖や考えをメディア向けに誇張し、変貌させていったのだろう。
エキセントリックに、しかし、露出しすぎないように無意識のうちに計算しながら。
でも、それはスターになりたい、といった幼稚な理由ではないと思う。誰かが彼を見る必要があった。彼が生きるに値する人間だと
誰かが言ってやらなければいけなかった。それを得られなかった彼は、仕方なく、メディアを通じて自分を見てもらうに値する人間だ
ということをアピールしつづけなければならなかった。
底に流れる孤独と、表面に彩られた派手な発言の偽物臭さ、これがモリッシー、the
smithsの魅力だ。
85’に彼は発言している。
「僕は利用されたい。」